半年ぶりに郷里へ。
5、6年空き家だった郷里の家の隣の家に
人が暮らし始めてた。
庭に畑を作り、
野菜を植え、
花を植えていた。
両親と同じぐらいだ。
懸命に田を耕していた。
今も戻りたいと願っているのだろうか。

世の中どうにも出来ないことがある。
自分の意志次第でやろうと思えば
自分で出来ないことはないと思っていた私は
震災後それを思い知らされる。
くやしい。
くやしくてたまらない。
ルミとナオヤとルミ一家に
結局気持ちをきちんと伝えられぬまま、何も言えなかった。
ひとつの決断は私達家族よりも大きく揺さぶられる話で、
昨日という日は何度も何度も胸を締め付けられる思いでいっぱい。
いつでも泊まりに来い、と笑顔で送ってくれるルミ一家に救われる。
ナオヤ、あなたは私に
お前はフットワークが軽いなーって
そう言ってくれたね。
そう、私は軽いのだ。
だからルミ、今と変わらんのだ。
私が育った家はなくなるが、
全く変わらんのだ。
むしろ、あなたの家に泊まりにゆける。
これからますますあなたの家族の一員として過ごすことが出来る。
そう考えよう。
ルミ母の作るご飯をたらふく食べることができる。
ルミ父が打つそばをたらふく食べることができる。
だからより一層幸せだ。
そう思う。
だからルミ、
全く寂しくなんかないのだ。
全く変わらないのだ。
いや、
むしろ楽しくなる一方なのだ。
そう考えよう。

私にはいつでも帰れる場所が沢山ある。
私がどこにいようと
私は変わらぬのだ。
どこに居ようと会う人には会うし、
会える人には会えるし、
会いたい人には会えるし。
その逆もまた然り。
どんなに近くにいても、
会えない時は会えないのだ。
それはお互いの思いと、縁と、運と、タイミングだけなのだ。
だから私がどこにいても同じなんだ。
変わらぬのだ。

田を耕し、苗を植え、種を蒔く。
いわきから岡山へ向かう景色には
どこでも同じような光景が広がってる。
人の営みだ。
去年は土色一色だった郷里の地も
今年は緑が広がってた。
みんなそれぞれ前に進んでる。
私も負けじと前へ進むぞ。

木曽路の母が“あなたは太陽のよう”だと
あやさんが“その太陽に偽りなし”と
みやけくんがスミスに
“この人に会うと元気出るから”って紹介してくれたように、
この世で私という人物が少しでも役にたてるように、
生きてゆけたら
本望なのです。

前へ。
やっと更新。
少しずつしか進めないかもしれないけど
前へ。
私には
守りたいものがある。